“もったいない” 女子大生

就活で、自分と向き合いすぎて疲れた人の気晴らしブログ

他人の人生を生きていないか?

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こんにちは、みーです!毎日暑いですね、、、🌞

 

ちなみに私ごとですが、就活を無事終えることができました!志望度の高かった会社さんから内々定を頂き、ちゃんと最後まで諦めず就活してよかったな〜と思います。

 

一時期は「自分って何?」、「どうしたら自己PRできるんだろう。てゆうかそもそも自分の長所ない、、、」と日々悩まされていました😇 (笑)

 

でも、あれだけ嫌だった自分と向き合う時間も、就活を機に少し好きになったんですよね。

 就活を終えてからも。バイト中や、友達と話している時、どんなときでも何かから学んで、自分自身に問いかける時間が増えました。

 

そして、ここ最近になって(やっと)自分は「少し損した生き方をしている」と気付き、このままでは社会人になってから苦労をすると思いました (笑)

 

 

 

 

 

 

 「よく人と揉めているよね」

 

「みーって本当、よく人と揉めるよね」と友人から言われます。

基本的に何かのトラブルの当事者だったり、巻き込まれる事が多く、人間関係で悩む事は沢山ありました (笑)

 

それは以前、更新した「自分の長所を認めること」の記事にも書いているのですが、私の価値観として”相手のためを思って気持ちを真っ直ぐ伝えることは間違っていない”という価値観があります。

 

要するに「お節介・世話焼き」な性格です。

自分でもわかっているのですが、この性格は人間関係でトラブルを起こしやすく、例え相手を思いやった発言でも一方的に言ってしまったり、信頼関係が不十分だったためすれ違う事が多々あります。 それにそもそも相手にしなくていいような人にまで「どうにかしてあげたい。力になってあげたい。」と思ってしまうんですよね (笑)

 

逆に言えば、それだけ人と正面から向き合ってきたからこそ、誠実に向き合ってくれる大切な友達や、常に学びが得られる人たちに恵まれているとも感じます。

 

しかし、大人になってもこのままでは正直しんどいなーと思いました。

 

やっぱり人間トラブルから学びはあっても体力も精神も疲れるし、相手にしなくていい人まで相手にし(世話をやき)、どうにかしてあげたい!と思うものの、迷惑がられ傷付いたり、人と揉めていいことなんて何1つない。

 

人間関係で悩む=他者の人生で悩み、一喜一憂する時間がもったいないと思ったんです。

 

 

 

 

ルール・基準・善悪が絶対!!

 

私は、自分で判断をするとき何事においても、物事を「善悪」で判断していました。

そのせいか、真面目で正義感が溢れているとよく言われます。この年齢になり、ずるい人間をよく見るようになったので、そう言われる自分に少し誇らしく思っています (笑)

ちなみに正義感が強い人とは「物事を判断する際に、善悪を最上位に置いている人」のことらしい。

 

そして最近わかった事として、

物事の判断の際「善悪」を最上位に置くことは、社会に出る前に考え直したほうがいいということ。

 

 

 

 

理解すべきこの世の中と現実

 

今まで「どう考えても間違ってない」と思う事が多々ありました。

 

自分の意見が絶対だ!100%正しい!!ということではなく、例えば(極端ですが)「嘘をついてはいけない」、「物を盗んではいけない」など、さっき述べたように物事を善悪で考えたとき「善」側の意見であるのにもかかわらず、納得をしてもらえなかった、、、。

自分は間違ってないと思ってるが、周囲の反応から「自分の考えが間違っていたのか?」、「伝え方がまずかったのかもしれない」と何度も考え、悩勝れる事が多かったです。

 

でもこの世界は不条理であり、こういった場面は少なからずあります。

 権力や立場、多数決で正しいことも間違ってることになり、苦しむ瞬間がある。正義が絶対で、いつか正義が勝つ。誰かがこの考えに賛同してくれるって、そんなことは滅多にない。多分、社会にでたらもっとない気がします、、、そんな現実社会で、人とのトラブルで変に疲れる自分がいかにもったいないと思いました。

 

今思えば善悪の基準は育ってきた環境によって、人それぞれ異なり「当たり前」なんてないものだなと

ある子どもは「何であれ、絶対に嘘をつく事はいけない」と教われば、他の子どもは「自分の人生を上手く生きるためにも、嘘をつくことは大切だ」と親から教わる。真っ向から違う意見でも、彼らにとってその教えはそれぞれ「あたりまえ」だと思っている(勘違いしている)。改めて考えれば、あたりまえだったり、善悪の基準など、これといって法律以外にない気がする、、、(わかんないけど笑)

 

だからこそ、物事を第一に善悪で考えるのではなく、どんな時でも相手の立場に一度立ってから考える事が、この世の中で上手く、柔軟に生きていく最善の方法だと思いました (やっと納得)。

 

 

 

 

他者を変えることはできない

 

そもそも、よく「人と過去はを変える事はできない」とよく言いますよね。

 

実はこの言葉が大っ嫌いで、過去は変えられないとは思っているのですが「人」は変える事はできると思っていました。初めから人のことを見捨てているというか、人に対し妥協しているというか、愛のない言葉だなあと思っていました。私自身、人のおかげで刺激を受け、変わる事ができた経験があったからです。

 

でも、なんだかんだ、

この人のことを変えることができなかったなと思う瞬間はありました。

 

塾講師として2年半アルバイトをしていた時、どれだけ一生懸命に生徒のためを思って言葉を投げかけたり、時にはしかったりしても、伝わらない事が沢山ありました。他にも、私の友達に人から頻繁に大金を借り、自分の娯楽にお金を使う子がいました。自分の友達がそんな人にはなって欲しくないという思いから「人から借りたお金を自分の娯楽として平気で使うのは、借した側もいい気がしないから控えた方がいい」と言ったものの「みーは過干渉すぎる」と言われ、かえってうざがられたこともありました、、、。今思えば、そんな人は相手にする必要もなかったのかと思います。

 

確かに、自分が与えられる影響の輪は案外小さく、他人の気持ちはコントロールする事はできない。今はそう思います。

 

かといって100%相手を変えることができないわけではないとも思います。

 

自分の行動や発言から相手に変わる「きっかけ」を与える事はできると思っている。だからこそ、相手を変えるならまずは自分の行動を変える。

 

そして相手にしなくてもいいような人間を変える必要はなく、時間が無駄でどうせ変わらない。自分が他者のためにお節介になるときは、自分にもなんらかの学びや利益がある時だけでいい。そこの判断を賢く行う事が大切だと思うようになりました。

 

 

 

 

おわりに

 

以上のように、お節介や正義感が強い自分の性格から人間関係で悩まされる事は多かったですね〜〜。

 

その分、愚直でまっすぐだったり情熱家だったり、愛溢れる人だねと言われるので、長所も短所も本当に表裏一体ですね🤔 (笑)

 

最後に、今回の記事で何を伝えたかったのかというと、

物事の判断を「善悪」だけで判断するのは、柔軟さや集団行動で不利になる時がある

・例え嫌いな相手でも「相手の立場に立って考え、上手く立ち回り行動できる人」が一番賢い生き方

他人はコントロールできないが、変えるきっかけは与える事ができる。初めから妥協してはいけない

 

この3点です。

 

あ、あと、人間的に冷めているというか淡々としたドライな性格がいい!!ってわけではなく、相手にしなくていい人にまで、変に悩まされる時間は無駄なので割り切ってくださいねということ(笑)。お節介おばさんの私からしたら、かなり大きな課題ですが、社会人になるまでに頑張っていきたいと思います、、、✏️ (笑)

 

 

それでは、今日のところはここまで。ありがとうございました!